不思議な蕎麦屋
【お題:明るい蕎麦 必須要素:ペットボトル 文字数:2429字】 仕事が終わり、小腹を空かせていた私は軽食屋を探していた。 そろそろ良い年になってきたので、ガツンと腹に来るモノは食べられそうにないのだ。 そんな私の目にやや古びた蕎麦屋の看板が映った。 蕎麦か。うん、丁度いいかもしれない。 そう思った私は古くなって建てつけの悪くなっているドアを横に引いた。 ガラガラガラ 「いらっしゃいませー!」 店の暖簾を潜るのと同時に、厨房から若い娘の声が聴こえてきた。 「あ、少々お待ち下さーい」 パタパタパタと駆けてくる音が聴こえる。 声の感じからするとまだ少女といったところか。 しばらく店内を物色していると、予想通り年若い娘が奥の厨房から出てきた。 「お待たせしました〜!」 パッと見て15,6ぐらいだろうか。 やや小柄な体には大きい割烹着を着ている。 「えっと、1名様ですか?」 と、そんな風に少女をじっと見つめていた私に気圧されたのだろうか。 やや声のトーンを落として訪ねてきた。 そんな少女を安心させるように静かな声で1人であることを伝えた。 「はい、えーっと。 あ、カウンター席でも大丈夫ですか?」 店には私以外に客の姿は見えないが、 大きなテーブルに一人でポツンと座るのも寂しいなぁ。 そう思って私はカウンターで良いと少女に答えた。 「はーい、それではこちらのお席にどうぞ〜」 そう言って少女は厨房に近い席を勧めてきた。 私は少女に促されるままにその席に腰を落ち着け、メニューを眺め始める。 天ぷら蕎麦 480円、月見蕎麦 380円、天ぷら盛り合わせ 700円、浅漬け 180円…… メニューは蕎麦を中心として酒の肴になるようなものが揃っている。 しばらくメニューを眺めていたが、なかなかピンとくるものが見つからない。 「注文決まりましたー?」 そうこうしているうちに少女が注文を取りに来た。 私は慌ててメニューをパラパラとめくりだす。 私はしばらくメニューと睨めっこしていたが、意を決してメニューから顔をあげて注文する。 「タヌキ蕎麦ですねー、少々お待ち下さい!」 少女は元気な声でそう告げると、割烹着を翻しながら厨房へ走って行った。 その際にチラリと太ももが見えてしまい、私は慌てて目を伏せる。 しかし、チラッと見えた太ももとは別にフサフサしたモノが見えた気がしたが…… 思い出そうとするが、どうしても太ももが脳裏に浮かんできてしまうので私は深く考えるのを止める。 ああ、早く蕎麦できないかなぁ…… 待つこと10分、少女が蕎麦の器を乗せたお盆を手にして厨房から出てきた。 「はーい、タヌキ蕎麦ですよー」 そう言って目の前にお盆を置く。 鼻腔をくすぐる出汁の香りと、たっぷりと入った刻み葱。 そして卵は蕎麦の上で灯りを反射してキラキラと輝いている。 見ているだけで口の中に涎が溢れてくる。 私は割り箸をパキッと割り、手を合わせてから器に口を付ける。 ズズズーッ……うん、美味しい。 昆布と煮干しで元を取ったと思われる汁は濃すぎず薄すぎず。 口を離した時には4分の1ほど汁が減っていた。 ガラガラガラ 入口の方で扉が開く音が聴こえた。 少女が再び厨房から顔を出し、新しい来客に声をかけに行く。 私はそれを横目に見つつ、何から手を付けようかと悩み始める。 「あの、ごめんなさい。今はちょっと人が来てて……って、ちょっと!」 うーん、卵を最初から崩してしまうのは勿体ない。 ここは葱や卵を絡ませずに、蕎麦をそのまま啜ってみようか。 そう考えて蕎麦を持ちあげた時、右肩がふっと重くなった。 私は突然のことに驚き、蕎麦を持ちあげたまま後ろを振り返り、あっけに取られた。 そこには、 口から鋭い牙を覗かせ、 頭の上に二本の角を生やした、 まるでそう、『鬼』のような、人影が。 そこまで考えたところで、私の意識はスーッと遠くなっていった。 … …… ……… 気付いた時には私は公園のベンチに横になっていた。 最初こそ頭が回らずぬぼーっと横たわっていたが、 自分が非常に無防備であることに気付いて慌てて飛び起きた。 その際にベンチに置かれていたビニール袋が地面に落ちてしまったが、 それには目をくれず財布や携帯を確認する。 良かった、財布や携帯は盗られていない…… 財布の中身をチェックしてみるが、特に変わった様子はなかった。 とりあえずの無事を確認できた私は身体を起こした拍子に落ちてしまったビニール袋を拾い上げる。 暗くて良く分からないが、中にはカップ麺が一つと、 ペットボトルのお茶が一本入っているようだった。 ビニール袋の中身を確認し終わった私は再びベンチに座り直す。 これは一体どういうことなのだろうか。 どうして今こんな状況に陥っているのだろうか。 頭の中で様々な疑問が渦巻く。 しばらく考えてみたが、残念ながら納得のいく答えは出なかった。 私はとりあえず疑問を保留し、あの蕎麦屋に向かうことにした。 あの蕎麦屋に行けば何か分かるのではないかと、そんな期待を抱いて。 記憶を頼りに蕎麦屋があった場所まで来た時、 私はまるで阿呆になったかのように口をポカンと開けて立ち尽くした。 そこにあの蕎麦屋はなかった。 いや、あるにはあったが所々板が打ちつけられており、 既に廃屋となっていることが容易に見て取れた。 どれくらいそうしていただろうか、 私は手に持っていたビニール袋が再び地面に落ちた音で我に返った。 私は悪い夢でも見ていたのだろうか…… 軽く現実逃避しつつ、私は落ちたビニール袋を拾い上げようとする。 しかし、ビニール袋は落ちた拍子に破れてしまったようで、 中身は辺りに散乱していた。 幸いにも近くに街頭があったため、飛び散った物はすぐに見つかった。 私は灯りに反射して明るく光る「緑のたぬき」と「伊右衛門」を拾い上げる。 拾い上げた荷物を手に持ったままもう一度廃屋に目をやった私は、 大きなため息を一つついて視線を廃屋から外した。 ぐるるるる…… その時、私のため息に合わせるかのように腹が鳴った。 そういえば何も食べていないんだった…… 私はチラッと手元のカップ麺に視線と落とし、 もう一度大きなため息をついてから家に帰ることにしたのであった。

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